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ずぼら人間のブログ.技術系ブログにしたかった何か

食物繊維はたまに取ってる

会社の仕出し弁当にたまに千切りキャベツが入っているのでたまに食べる.パッサパサで全然美味しくないのが悩み.それに比べて揚げ物のお店の千切りキャベツはなんであんなに美味いんだろう.無限に食べられそうだ.

あと,友人が一人コーヒーの飲みすぎで便秘になっていたから,便秘の解消にはカフェインの摂取を控えるのも良いかもしれない.飲むのを辞めたらかなり改善されたと言っていた.

 

ところで今期のアニメで「青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない」を見てる.

その解としては毎晩見ていると言うのが妥当なんだろうか.

 

とても面白い.科学的考察にツッコミを入れるのは野暮だろうし些末な問題だ.

このアニメはざっくり言うと,学校という閉鎖された空間内で発生する強烈な集団心理へのアンチテーゼというところだろうか.アニメ的に言うと空気との闘いの物語.

 

ところで,私語りになってしまうが,私は中高では結構クラスで浮いていた.結構嫌なやつだったし屈折した性根を持ってるからまあそんなものかもしれない.きっと高校のクラスの同窓会の連絡は回ってこないし来ても行くことはないだろう.

当時からあまり良い立場にないことは分かってたし,そういうことに居心地の悪さを感じていた.だから私は古賀の気持ちがよく分かる.私は誰にも嫌われたくないと思う.悲しい生き物だ.一人でいるのはそこまで苦ではないが,一人でいるやつだと思われるのがたまに嫌だ.何より自分で自分をそういう目で見てるのだ.もしかして最低なことなんじゃないかと最近思っている.

 

だから朔太みたいなキャラクターには強い憧れがある.自身に向けられる他人からの視線に対して動じずに飄々としていられる.私も鉄の心臓がほしい.氷菓折木奉太郎とか,ハルヒキョンとかもそうだ.キョンは当時思春期真っ盛りだった私には刺激が強すぎた.隣の芝生が青く見えるせいかもしれない.でも憧れとはそんなものかもしれない.

 

そしてそのせいなのか,朔太のあの強すぎる主張と精神は私にはとても暴力的だ.

作品の中で朔太と話していた双葉がこう言っていた.「正論は聞きたくない」と.私も正論は聞きたくないと十年くらい思い続けている.もちろん双葉の言ってる「正論」が違うものだとは理解しているが,あれを聞いたときもっと広い意味で私は捉えていた.

 

朔太は空気を読んで周りに合わせてばかりなのは馬鹿らしいと言っていた.お説ごもっともだ.そういうのが必要な場面もあるだろうけど,それだけで生活し続けるのは違うというのは承知出来る.完全にアイデンティティを殺して生きていくのは恐らく健全ではない.

 

だが,それが本当に可能だろうか.「空気を読めない」やつがクラス中から爪弾きにあうと分かっていて,現実的にその「空気」に従わないという選択が採れるだろうか.これらは反語ではない.ではないが,極めて反語に近い.少なくとも私が古賀だったら無理だ.断言できる.

本当に「自分を必要としてくれる人が一人いるだけで生きていける」んだろうか.私には全然想像がつかない.私にはそれなりの人数の友人がいるが,そういう今が大変に幸運で,かけがえのない環境だと自覚しているだけに余計にそうだ.仮に自身を心から必要としてくれる誰かがいたとして,自分もその人のことを十分に慕っていて,その人との関わりだけで生きていけるだろうか.その人と四六時中一緒にいるわけではない.学校や会社やその他色々な集団の中で孤立している中で,それでも私とあの人は心が繋がっていると心底思えるものなんだろうか.

 

狼と香辛料のホロは「孤独は死に至る病」だと言っていた.あと,なんて漫画か忘れたが「孤独は人間が感じるストレスの中で最も強い」と言っていた.

人間の生物的特徴として,社会性を獲得して集団で生活することだと何かで読んだことがある.だとしたら,その社会に属せず孤立するということは危険な状態だろう.強い腕力も速い脚もないから,集団で生きることは合理的な生存戦略だ.だから孤独に強いストレスを受けるということは頷ける.そして強いストレスによって死に至る人が世の中にたくさんいることも昨今よくニュースになる.

これらか考えると上述したホロの発言にはかなり信憑性が出てくるのではないだろうか.私はほとんど確信している.死に至る病は元々絶望らしいが,人間が孤独に陥るということはだいぶ絶望的な状況だろうし結末は同じだろう.

 

これらのことはただの理屈の補強ってだけなのだが,こういうことからも朔太の主張はあまりにも正論すぎる.あまりに正論過ぎて一周回って誤論じゃないだろうかとも思ってしまう.人間限界がある.その強すぎる正論にあてられて,私は頭がクラクラしそうだ.

 

もっと正しい言い方をするなら,朔太の主張というより,その主張を通したアニメのテーマやメッセージが暴力的だ.朔太一個人の主張というだけなら,それを自身に向けられているわけではないならそこまで何かを思うことは無いかもしれない.でも明らかに作品のメッセージは視聴者ないし読者に向けられているものだ.

クラスに馴染もうと過度な努力を積んでいることや,馴染めず浮いたクラスメイトでいることに違和感や居心地の悪さを感じている人は,あれを見てどう考えるのだろう.そう感じるからこそあのメッセージを正しいと感じるのではないかと思うし,そう思うとしたらやはり私にはあれは強すぎる主張だと思ってしまう.

 

あまりにも空気を読んで集団に馴染む努力をすることが愚かなことだと言われ過ぎている.あまりにもそうせざるを得ない人の気持ちがおざなりにされている.そう私はずっと考えている.

 

ただ,深夜にアニメを見て2時間もかけてこんな文章を打ち込んでいる私は十分作品を楽しめてるなと思って可笑しくもある.再度言うが,この「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」はとても面白いし,最新話が待てなくて既に5話までを2周しているし,OPもmoraで購入したし,劇場版の前売りも購入予定なのだ.

 

これらの与太話は決して善悪や是非を問いたいわけではない.強い主張をしたいならそうすればいい.さすがにこれを見て死に至る人はいない,と思うし.私は作品鑑賞後にどういう気持ちになるかに善悪など無いと思っている.いい気分になろうが最悪の気分になろうが,そう心を動かされた時点で十分に作品を堪能出来ているし作品の鑑賞とはそういった心の動きを堪能するものでもある.

 

原作は未読なので,今後この主張がどう転がっていくのか,最終的に私がこの考えにどう折り合いをつけるのか,もしくはつけないのかそこのところが楽しみで仕方がない.

 

ところで,劇場版を上映する映画館の情報は無いのだろうか.前売り券の購入を予定としている理由はそれを見つけられないのが原因なのだが...