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ずぼら人間のブログ.技術系ブログにしたかった何か

飲み足りないのでビールを飲んでいる

 

昨日(というか数時間前まで)大学の後輩とお酒を飲んでいた.

その時「先輩のブログは米津玄師のブログと似てる」と言われたので

試しに読んでみたけど良く分からない.

同じ「だ,である」調というだけじゃないだろうか.というかこのブログは「です,ます」調も使ってるので一貫性がない.口調とか一人称が一貫性がない人間なのだ私は.

 

ただ,ちょっとだけ共感出来るところもあった.

reissuerecords.net

音楽に大事なのは編集だと、ここ最近強く思う。プリミティブであれ、衝動的であれ、という「ありのまま主義」というか、そういうのに僕はずっと懐疑的な立場でいて、あまり面白いものでもない気がずっとしていて、自分自身なぜそう思うのだろう?とよく考える。

こんな文章があった.私も趣味で詩を書いてるのだが(趣味で書いてるアマチュアが一端の詩人気取りかと思われるかもしれないが,まあいいではないか.趣味であれアマチュアであれ詩を書いてるだけできっと詩人なのだ),ここでいう「ありのまま」という言葉を私は「言いたいことをただ言っただけ」のものと思って読んでいた.

こういう自分の言いたいこと(特に感情に従って出てきた言葉)というのは生物ではないか,食生活で例えれば生肉なのではないか,というのが私の立場である.あまりにも生々しすぎるのだ.

生肉を食べるだろうか.馬と牛は生食も出来るけど,基本的には焼いた方が美味いし安全だ.特に豚と鳥は焼かないと食べられない.何でもそうだけど,調理した方が安心して美味しく頂ける.

詩であれ音楽であれ,きっと上手に調理してあげないといけないのだと思う.それが編集という作業なのだろう.自分の気持ちとか感情は大事だろう.そうだろうけど,でもそれだけではクリティカル過ぎるし,食したが最後,お腹を下してしまうだろう.

根底というか芯の部分はそういうのは大事だろうけど,誰かに読ませる聴かせる段階になった時に,上手に編集して,詩的に音楽的に形にしてあげないと,それは生々しすぎて鑑賞に堪えないのではないだろうか.

 

そんなことを自分も考えてるな,と上記の記事を読んで思い出したので書き留めた次第です.

 

ところで,「米津」は変換で一発で出るのに「玄師」は出てこないんだな.あれだけ有名になったんだから,IMEのデータベースにも登録されないだろうか.それともIMEクラウドとかには対応してないのかしら.