ブログ
最近またブログの更新頻度が上がっている.
2014~2015年頃は2時間くらいかけて数千字の記事を書いて月一くらいで公開していた,気がする.大抵は近況報告みたいなものだったが.
だが,大学院に入ったくらいから一気に書かなくなった.何時間も文章を書くのが怠いという気持ちと,そういう時間が勿体無い気がしたからだ.そんなことするくらいならゲームするとか寝るとかもっと良い時間の使い方がある気がすると感じていた.
会社に勤めるようになってそれは顕著なものになり,一時期は死んだような気持ちで生活していたこともあってほとんど書かなくなった.
だが,ある時気づいた.大抵の人は既に知っていることだろうが,私はそれに気づくのにだいぶ時間がかかってしまった.
もっと短い文章を書けばいいのだ.
あほらしいと思うかもしれないが,これでいて書き出すと止まらない質なのだ.だから一度書き出すと何時間も書き,読み返し,推敲してしまう.別に書き終わった後に後悔に襲われたという経験もないのだが,そうなることを知っているとなかなか書き始めるのが難しい.
だがやっと気づいたのだ.適当な文章で,ごく短く書けばいいのだと.これなら10分とか,かかっても1時間もかけずに出来上がるので腰も軽くなる.
それに気づいたのがGWあたりで,そこからは2週間に1回くらいのペースでかけるようにはなった,ような気がする.去年は年間通して1回しか書かなかったけど,今年は既に8回も公開している.これなら年末には14,5本くらい書けるだろう.
ものを書いたり読んだりするのは好きだ.ブログというものは手を変え品を変え,サイトを変えて10年以上続けている.yahooブログに始まり,ameblo,fc2,JUGEM,@pepsやMobilespaceなんかで個人ページを作ってそこで定期的にブログを更新していた.
@pepsとか懐かしさで体が粉砕しそうだ.ゼロ年代後半当時は結構流行っていた気がする.友人たちの間で互いのページのリンクを貼り合っていたりもした.ああ,砂になって風に流されたい…
ブログはいつからか流行りだしただろう.私が中学か高校くらいだった気がする.
やっぱみんな自分のことを書きたいのだ.そうじゃない人もいるだろうけど,流行っているのだから結構な人が自分についての記録を取りたいと思っているのではないだろうか.大体日記自体は古くから多くの人たちが記していて,それが貴重な歴史的資料になったりしてるのだ.偉人達は気の毒だ.
みんな自分のことを語りたいのだ.これは嗤われることでもないし,おかしいことでもない.みんなそういうものなのだ.自分語りだって,こういう形でなら許されてもいいだろう,そうだろう?
そんな感じで今日も1000字を超えてしまった.
日曜日が終わるけど,もうすぐ会社も10日ほどの夏休みに入るので不思議と怖くはない.
それではまた2週間後くらいに.
ベース
久々にベースを出してきた.本当に久々に出したのであちこち汚い.
今度本格的に綺麗にしてあげないと.申し訳ない気持ちがあふれてくる…
どうして急にベースなのかと言うと
今日何気なく立ち寄った楽器屋でバンドスコアとか教本とかを買い漁ってしまったためです.本当はベーマガ(ベースマガジンの方)でも買ってくかみたいな気持ちだったのにベーマガは買わずに教本2冊とバンドスコア2冊を買ってしまった.諭吉は消えた.
バンドスコアは,久しぶりに弾くことも考慮して初心者ベスト10的なやつと米津玄師のdioramaを買ってきた.種類が少ない中でピンときたのがこれだった.表紙の色使いが良い感じ.
さすがに急には弾けんだろうと思って今日は曲を聴きながら譜面を眺めるだけだった.viviが好きなので最初はここから攻めようと思っている.
教本の方は本気のビギナー向けのやつとフレーズ集(教本と分類していいか微妙).教本は今度ゆっくり見るとして今日はフレーズ集の一番最初のやつからやってみた.
予想はしてたけどめっちゃ左手に力が入る.人差し指に水ぶくれが出来たのも久しぶりで高校生時代を思い出した.何もかも懐かしい.
しばらくリハビリ期間が続く.でも簡単なフレーズでも段々滑らかになっていく様を感じると結構楽しいものがあるので挫けないで出来そうだ.ちなみにバンドを組む予定は無い.会社の同好会も活動してないし外で組む元気も勇気もない.
ところで米津玄師のdioramaは友人から借りパクしてしまったものなのだが,返そうにも連絡がつかない.友人氏,奇跡的にこれを読んでいたらメールをくれまいか.
以上です.
夏が好きだというだけの話
おもむろに書き始めるが
私は結構夏が好きだ.今年は特に気温が尋常じゃなく高く全国的におかしなことになっているが,それを差し引いて夏が好きだ.
昔から夏には結構いい思い出がある.大抵夏は良い季節だ.夏休みがある時期でもあったし.
夏には遠くに行きたくなる空気のようなものがある.自転車で遠出するのが好きだったが,それは大抵夏だった.それは夏休みがあり自転車を乗るには一番丁度いい季節だからということあるだろうけど.
夏はまず雲がいい.子どものようなことを書くが,私は雲の上を歩きたい.いや,歩けないのは知っている.理科はそこそこ得意だったから心配しなくていい.
でも歩きたいと思わせてくる.夏の雲というやつは.なんせ十分なボリューム感と弾力感を感じられる.近づけば文字通り夢も雲そのものも霧のようになってしまうだろうけど,あれは歩きたくなる.太陽の光があたって綺麗な白色を放っているのもいい.あの白と弾力感で完璧に歩きたい物質No.1だ.
そして景色もいい.この辺は森林や畑の多い土地に行くと余計感じる.ぼくの夏休みのやりすぎかもしれないが,そもそも森林や畑の多い土地で18年も生きたのだからむしろそっちの方がリアルに近い.
夏の日差しを浴びたあの田舎風景というやつは,本当に心が躍る.血がわずかに滾って,途方もない感動をいつも覚える.エネルギーが違う.冬のそれとは秘めてるエネルギーがずっと多い,気がする.生い茂る緑and緑,そこら中から聞こえる蝉の声.生命が息づいているなと感じるのが好きだ.夏の景色は良い.
でもここ数年は全然ミンミンゼミを聞いてないので少し寂しい.絶滅したんじゃないだろうか.昔は良く聞いていて,あれを聞くと「夏が来たな」って気分にさせられた.アブラゼミの声も嫌いじゃないけど.ヒグラシも良い.夏の夕方のセンチメンタルな綺麗さも捨てがたい.
そして夏はやたらと開放的な気がする.薄着なのもその一助となっているかもしれない.私は薄着が好きだ.というか家では裸族なのだ.基本的に衣服を身にまとうより全裸の方が好きなのだ.もちろん家の中だけだ.私はこれでもこの日本社会で生きて今年で26年目なので,それなりに大丈夫なのだ.
冬でもたまに全裸になるけど寒くてやってられないのでやはり夏が良い.
そして私は海よりも山派である.田舎の山や森林の中なんて大して人もいない(というか街の中にもそんなにいない)ので,まるでその景色や世界を独り占めしているような気になる.そしてあの夏の景色である.木々の葉に日光が遮られる中風の通り抜ける清涼感,そこら中に漂う土のにおい,僅かに差し込む光,枯れ草や枝を踏みしめる感触.思い出すだけでも田舎に帰りたくなる.
私は地元の河川敷の景色が好きだ.川向うに見える小高い丘(というか山),足元にこじんまりと広がる誰かの家の畑,遠くに見える高校,その手前の2本の橋.後ろに続く日陰が涼しい並木道.夏に見るあの河川敷からの眺めが,ある意味私の原風景かもしれない.
比較的夏が短い土地に育った.ぱっと暑くなってサッと涼しくなりダラダラと長い冬が続く.下手すると,特に日中ずっと日陰のところには4月くらいまで雪が残っていて大抵寒い.だから余計に夏が恋しい.年中夏はまだかと思っている.
そして夏は思い出の中にあっても良い.思い出の中の夏というのは,本当に綺麗で純粋で愛おしい.それは思い出だからだ.どんな出来事も時間の流れに晒されて,まるで岩石が滑らかになるように記憶はどんどん綺麗になる.10年も経てば,大抵のことは良い思い出になってくれる.あの美しい景色が思い出の中でどんどん儚くきれいなものになっていく.この速度は冬の倍くらい早い.
夏は良い.ずっと夏でも困るだろうが,景色の良いなるべく夏が長い土地に住みたいものだ.
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spotifyで音楽を聴いていたらふと思い出して「太陽族」というバンドを思い出して検索したら引っかかった.
でも,やはり無かった.「裸電球」という曲が聞きたかった.
動画はこちら
ああいい曲だ.
私はこのバンドが故あって好きになった.
久しぶりに聞いたので,なんかそこら辺のことを書きたくなった.
ただ,あまり楽しい話には出来ない.
太陽族の曲を初めて聞いたのは大学2年か3年の時だった.
大学の軽音部の先輩が外で組んだバンドで太陽族の曲をコピーしていて,それをライブハウスへ聞きに行ったのが初めてだった.最初はオリジナルだと思ってた.先輩方らしい曲だと思った.
その後初めて生でライブを見た.2013年のいしがきミュージックフェスティバルだった.そこで出会ったのが前述の「裸電球」という曲だった.
大学2年~3年の当時は,それまでの人生で一番ダメな時期だった.そして当時から今までを考えても当時が最高にダメだった.多分あれよりダメなことを経験したらい死ぬだろう.当時はなんとか死ぬのが怖くてなんとか死なずに済んだ.
理由は色々あったが,そのうちの一つがバンド(音楽)を出来なかったことだった.その理由も色々あったが,とにかく出来なかった.出来ないことがストレスだったが,やりたいと思うのもストレスで逃げ場所がなかった.ああいうのはなかなかキツい.自分で自分の首を絞め続けていたようなものだ.
そんな中で「裸電球」を聴いた.私は泣いた.人目もはばからず涙を流した.人目を気にする余裕も無かった.あの時私はあの曲に感化され,自分の中の膨大なストレスをすくいあげられ,それらを卑下したり否定するものではないと思わせられた.だから二十歳を過ぎたいい大人が声を上げて泣いた.
音楽が持つ力,みたいなフレーズをたまに見かける.使い古されたフレーズで辟易することもあるが,私はあの時あの曲に救われたのだと思う.使い古されるにも理由はあるのだと今更ながら経験として実感した.だから当時の私に最も必要なものはあの曲だったのだと確信している.
この経験が私が太陽族を好きになった一番の理由である.
ただ,心残りもある.この「裸電球」が入ったCDは当時ライブ限定販売だったのだが,当時は半端なくお金が無くて悩みに悩んで買わなかった.今思えば1日飯抜いてでも買っておくべきだった.
さっき調べたらネットで販売してそうだったが,販売してるページがメンテ中になっていてかなり絶望的な気持ちになっている.でもAmazonとかで中古で買うのはなんか負けた気がするのでもやもやする.
ただ,幸いなことに公式のライブ動画がyoutubeに上がっているので思い出したときに聞いている.さすがにライブの時みたいに大泣きはしないが,今でも大声で歌いたくなる.
これ以外にも,前述した先輩のライブも鬱屈した当時の私の肩の荷を下ろしてくれていた.あのライブに行くようになってライブハウスにも顔出しやすくなった.太陽族を聴き続けた2年間だった.
さて,どうだったろうか.あまり楽しい話は出来なかった.とりあえず太陽族の話ができたのでそれで良しとしようと思う.
余談だが太陽族は去年の今頃から活動休止中らしい.悲しい.
活動再開したらまたライブに行きたい.
ゲーセンと温泉と冷えた牛乳
GWにグルーヴコースターにハマってしまい先日からゲーセン通いをしている.
自宅の周辺に田舎の広い土地を活かしたデカいゲーセンがあり,そこにも勿論グルーヴコースターがあるので1日10プレイくらいしている.
スコアは特筆するようなものはない.初見でも意外とプレイできるのでなかなか良心的だなと思っている.お気に入りはOldHeavenとLOVE FOR YOU.
ゲーセンには21時か22時くらいに行って閉店近くの23:30くらいまで遊んでいる.
そこから更に近くの温泉へ入るのが習慣になりつつある.その温泉が閉店3時なので最高の時間設定である.狙っているとしか思えない.
0時半くらいまで温泉に浸かって牛乳を飲み(重要),休憩所で漫画や本を読みながら2時くらいまでだらだらして帰る.
温泉入ってタオル借りて牛乳飲んで1000円弱くらいなので値段設定も良い.個人的には温泉の無料休憩所を最初に考えた人間にはノーベル平和賞を差し上げたい.
こんな生活を学生時代に送りたかった.まず金銭的な問題で無理だった.あとゲーセンに行くモチベーションが無かった.そして近くにふらっと寄れる温泉や公衆浴場が無かった気がする(知らなかっただけかも).
何だろう,あの湯舟にゆっくり浸かった後のあのまったりした気分は.あれだけで何もかも全て許せる気がしてくる.でも多分家の風呂ではダメなのだ.大勢のお客がいて,その中の一人として湯に浸かり座敷でくつろいでいるという環境が穏やかな気持ちにさせてくれる.何だろうあの感じは.
今後も金曜の夜とかに定期的に行きたい.
あと調べたらグルコスのLOVE FOR YOUってまだ曲の販売してないんだと分かった.TGS2018で先行販売らしい.ゲットしたい.今年は欠かさず行こうと決意した.
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GWも残り3日となった.弊社は9連休だったのでもう1週間休んでいることになる.贅沢な話だ.
予定はあまりなかったが,なかなか充実した6日間だったように思う.
昼前に起きて昼飯を食べ,昼寝をして夕方に起きる.そしてちょっと遊んで夕飯を食べ,風呂に入ってちょっとお酒を飲んで寝る.完璧ではないだろうか.
こういうちょっとだけ幸福な気分のまま一生を終えられないだろうかと思っている.
大きな不幸感もない代わりに大きな幸福もないが,例えば天気が良いとか道端の花が可愛らしかったとか,気まぐれに聞いた音楽がちょっといい感じだったとかそういう些細なことにちょっとした幸福を感じながらずっと生きていけないだろうか,とずっと思ってきた.大学2年くらいからだったような気がする.
多分人類が望む願いの相当上位の難易度になる願いじゃなかろうか.きっと何千年も前から人類が望んできた願いじゃなかろうか.私が望んでいるのは恐らく桃源郷なのだろう.
暇
最近友人の結婚式に行ってきた。髪が長くてめっちゃ言われた。
しょうがない。私は髪を切りに行く気持ちの余裕はない。寝て起きてゲームするだけで精一杯だ。世の中の多様性の中に髪を切らないことも入れてくれ。
去年くらいからこういう話を頻繁に聞くようになった。年齢を感じる。
この間まで学生だったはずなのに、会社に入ってから急に色々な現実が押し寄せてきた。あの人もこの人も結婚や彼氏彼女と忙しい。良いことだ。私の見えないところでやってくれ。私にそんな甲斐性がないことは高校大学の9年間でとくと実感した。私に他人との共生は難しい。
amazarashiが前に曲を出していた。「月曜日」という曲だ。
中学生が主人公の漫画の主題歌らしい。
まさに私はこの歌の主人公だ。皆が「大人」になっていく中で、私は「子ども」で居続けたい気持ちに従って生きている。いつまでも新作ゲームに胸を踊らせていたいし、友達との約束を楽しみに週末を迎えたい。そういうのだけで生きていきたい。今の社会は割とそういう人間にも寛容でありがたい。皆自由に生きればいいのだ。ライフスタイルに優劣を見出ださないで欲しい。そして見出ださないようにしたい。
今のところ一生独身でも後悔はしないと思っている。ただ、確実に孤独になっていくとも思っている。伴侶は要らずとも、孤独は耐え難い。ホロもそれは死に至るものだと言っていた。生活はどんどん変化していく。私だけを残して。そんな妄想を、最近よくするようになった。
もう少し人生を楽しめる度量が必要だと思う。とりあえず車を買いたい。