aptoro.jp

ずぼら人間のブログ.技術系ブログにしたかった何か

東京生まれ東京育ち

さっきふと思ったのだが

東京生まれ東京育ち,高校大学も東京の学校を卒業した純正天然東京人って

日本国内で東京以外に住所を持つこととかあるのだろうか.

 

半死半生の大通り商店街とか

人が住まなくなって崩れかけてる廃屋とか

庭でごみを焼いたときの臭いとか

虫と蛙の鳴き声で満たされた蒸し暑い夜とか

新幹線が止まる駅があるだけで少し誇らしげになったりとか

そういうことを実感や実体験として知らずに生きていく人たちも

やはりいるんだろうか.

 

是非を考えているのではなく,そういう人生や世界観を全く想像出来なくて

それが少し楽しいと思った.

暗くてつまらないお話

今日はあまり面白い話ではない.まあいつも大して面白い話は書いてないが,今日は特に面白くない.

 

世の中にはお酒の席で仕事の愚痴を言うという文化(?)があるらしいが,私はあれがすごく嫌いだ.なぜアルコールの入った楽しい時に暗くつまらない仕事の愚痴などをするんだ.他人の悪口の話もダメだ.好きな漫画とかの話をしようよ.刃牙シリーズの話なら延々出来る.(でもたまにやってしまう.友人らには申し訳なく思う所存である)

そして今日はそういう暗くてつまらない話だ.そういうのがダメな人は早々にブラウザバックしてくれ.Alt+F4でもいいぞ.

 

 

 

なお,以下文章は全て私の体験によるものであり,医学的,精神学的,他種々の学問的正当性は全く担保されておらず,これを読んで何かを感じたとしてもそれは一旦忘れて日常生活に戻ってほしい.むしろ感じるところがあったとすれば今すぐ忘れた方が良い.無論,私に何か社会的責任は負えないし,何かあったとしてもそれは各個人の責任とさせて頂きたい.というか何もするな.寝ろ.

 

 

 

さっき1時間くらいかけてアルコール依存症から脱する漫画を読んだ.twitterでRTが回ってきて,厚労省とか専門家が監修していて参考文献も10件くらい並んだ真面目な漫画だった.

中身は依存症とは病気で,本人の性格や性質とは無関係で,治る病気だという話だった.きっと経験のある人にはかなり辛い内容なのではないだろうか.

 

人はなぜ何かに依存するんだろうか.ストレス,不安,興味など,そういう理由を漫画は述べていた.当たり障りのない理由だがそれらが大きな理由なのだろう.人は意外と大丈夫だが,それでも結構簡単にダメになる.

今日はそういう話をしたくなったので書く.

 

嫌な記憶は結構長く脳にこびりつくものだ.アダルトチルドレンという単語を私はこの漫画で初めてしったのだが,子供の時の嫌な経験などに大人になっても苛まれるものらしい.正しい意味はちゃんと調べてくれ.こういう負の感情は積み重なるものだ.

豚乙女の「トラウマレコーダー」という曲がある.

www.utamap.com人の嫌な記憶というものをよく言い表している.それは決して消えないし,気色の悪い傷跡のように残り続けるものだ.そうして人はいつかダメになっていく.(だからこそ「上書き」することによって次の一手を図ろうとする発想は画期的であり,私には大きな救いにも感じられたのだが)

 

私は一度本気で死のうと思ったことがある.今のアパートで,エレキベースのケーブル(シールドと呼ばれている)で上手いこと輪っかを作り,試しに首にかけてみたらちゃんと締まりそうだったので後はどこかにそれを括り付けるだけだった.

そして天井を見上げて,そんなものをかけるところなどどこにもないということに酷く絶望したものだ.死ぬこともできず,しかしこの先明るく楽しい生活を送れる自信もなく,深い絶望の中でベッドの上で震えていた.何に一番絶望したかって,自分が死に対して酷く恐怖していることを自覚したことだ.私は死ねないのだ,とはっきり自覚した時私はある種希望を失ったような感覚を覚えた.そして死を免れたことが分かって安堵した私を眺めて随分情けなく感じたものだ.ああ死に損なったかつての先にある今日は白々しい.

 

大した理由は無かった.恋人に振られた直後というわけでも,会社でこっぴどく叱られたわけでも,親しい知人の死を経験したわけでもない.人生における大きなイベントをこなしたわけではなく,日々積み重なった大小のストレスが積みあがって,何か限界を迎えて私は死ぬことを選んだのだ.

 

今でも私はいざという時の選択肢として死を残している.何せ死は究極の逃避である.あらゆる苦しみも喜びも消し飛ばして現世からおさらば出来るのである.これは単純なようでかなり重要なことだと思っている.どんな困難や絶望に襲われても,明らかに人生詰んだとしても,最後の最後,伝家の宝刀としての死があるのだ.生きる喜びよりも死の逃避が勝る瞬間がどこかに潜んでいるのだ.

そして私は宗教の意味の一旦をあの日味わったのだ.真面目に取り合われたら怒られそうな発言である.

 

何も得るものが無かった自殺未遂の未遂であるが,あの日々を通してポジティブな何かを見出すとすれば,やはり人間結構簡単にダメになるということを知ったということだ.油断すれば簡単に死ぬ.それが分かっただけでもちょっとは人に優しくなれそうである.

 

ちょっとしたストレスを甘く見てはいけない.日常生活で嫌なことがあって,それを趣味や楽しいお酒の席で解消出来たと思っても,油断は禁物である.そいつはそうそう消えてはくれない.体に出来た傷跡がいつまでも残り続けたりするだろう?(私の二の腕にも小学生の時に看護師が注射に失敗した時の後が未だにあったりする)

そうやって自分のストレスを誤魔化して無視し続けているといずれやってくる.死の逃避が生の喜びに勝る瞬間が.天秤が僅かでも死の側へ傾く瞬間が.これは例外なくどんな些細なストレスでも原因となりうる.これは全く例外なく,人生n年生きてきた中の全ての事柄が当てはまる,と私は思っている(nは任意の自然数).

「これは幼稚園の時の記憶だから」「これは小学生の時の体験だから」「あの時は思春期で過敏な年ごろだったから」こんなこと理由になりはしない.全ては完璧にレコーディングされたトラウマなのだ.私はこういう思想で生きている.

 

そして恐らく肝心なのは(死や依存症関係なく)どうしたらこういった事態に陥らないか,という点ではないだろうか.死ぬことを例に出せば,ぶっちゃけ本気で死のうと思っている人間を止める手段は,手足を縛って猿ぐつわをはめて身動き出来ない状況にするぐらいしか思いつかないからだ.死を選んだ時点であらゆる未練やしがらみは本人からは消え失せ,死ぬことしか頭にないからだ.こんな状態で「死んだら悲しむ人がいる」などという生易しい説得は無意味である.何せ生の喜びを死の逃避を完全に上回っているからだ.いかに事前に生きることによるメリットを本人に植え付けるか(もしくは死ぬことによるデメリットを植え付けるか)が重要なのではないだろうか.

 

投げっぱなしで本当に申し訳ないが,こういうことはきっと色んな人が議論しているし,私には全く知見がなく下手なことを言うことは出来ない.だから身近にそういう人がいるのなら,専門の機関へ相談しに行った方が良い.躊躇うな.勘違いでもいい.むしろ勘違いならちょっと笑い話で済む話だ.今すぐだ.機関が閉まっている?なら次機関が開いたらすぐ駆け込め.行かない理由は無い.直ぐだ.一瞬の間も置くな.スマホの画面はその機関のページにしておけ.朝起きたらすぐ電話をかけろ.一切の躊躇はいらない.本人への事前の相談などいらない.人間結構簡単にダメになる.本当にあっという間だ.昨日笑顔で別れたやつが次の瞬間にはダメになっている可能性だってあるのだ.

 

そして最後に,ここは私のチラシの裏の落書き程度のものなので,私の書きたいことを書くが,私は誰かの死の意思を否定することは出来ない.決して死を肯定しているわけではない.私の親しい知人などが死のうとするところを目撃したらすぐさま止めに入って手足をふんじばってでもその死を止めることだろう.だが,本当に死を望んでいる人間のその気持ちを否定することは出来ない.理由は上にある通りだ.そして私は私の中にある死という選択肢を否定することもない.これは私の中にある最後の最後,緊急脱出ボタンのようなものだ.これがあるから私は安心出来るのだ.

完全自殺マニュアル」という本がある.もう絶版になっているらしい.

https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AB-%E9%B6%B4%E8%A6%8B-%E6%B8%88/dp/4872331265

この本の説明文に以下のものがある.(上のURL内にも記載がある)

世紀末を生きる我々が最後に頼れるのは生命保険でも年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ。…薬局で買えるクスリから、最も安楽に死ねる方法まで、聖書より役立つ、コトバによる自殺装置。

世紀末という表現は20世紀末に書かれたものだからなのだろう.時代を感じる.

そして「その気になればいつでも死ねる」という言葉がなんと頼もしいか.我々はいともたやすく死んでしまえるのだ.これが希望なのだ.この事実が最後の最後,私に残されるであろう生きる希望なのだ.

鋼の錬金術師」に出てくるマルコー先生が,ホムンクルスに捕まり賢者の石の研究をするよう強要されるシーンがある.そしてホムンクルスはマルコー先生にこういうのだ.「死んで逃げられると思うなよ.死んだらあの町を地図から消してやる」と.あの死すら断たれたあの瞬間のマルコー先生の絶望はいかほどのものか,想像を絶するものであろう(しかしあの後スカーの協力で外に出た気がするので,結果として死ななくて良かったという話もある.結果論ではあるが).

 

色々と楽しいこともあるし,生きていて良かったと思うことも結構あるが,やはり人は結構簡単にダメになってしまうのだ.その結果人は色んな行動に出るのだ.色んなことは時間が解決してくれることもあるが,時間が蝕むことだってある.そういうことを忘れずに生きていきたい.

 

そんな感じで締めくくる.過激な文章になってしまったなぁ….

虚無の日々を書こうと思ったがゲームの話になった

去年くらいから,帰宅して夕食を済ませたら延々とゲームをする生活をしていた.丁度Nintendo Switchを手に入れた辺りからである.

「プライベートは1秒も無駄にしたくない」みたいな強迫観念からゲームをする手を止められなかった(ゲームをする時間は無駄では?と思ったあなたにはきっと理解出来ない心境だししなくていいと思う).

 

それがここ1週間くらいはそれが無い.延々とtwitterやその他Webサイトを巡回して過ごしている.私はこれを虚無の時間と呼んでいる.

こうやって自身の行動を貶める癖は追々止めていくとして,あれほどゲームに明け暮れていた1年が嘘のように虚無を満喫している.悪くはないがなんだかモヤモヤする.

所謂ネットサーフィンだが,目的もなく惰性でリンクをクリックするそれは実質何もしていないことと同義ではないだろうか.瞬間的で粗雑な快楽をつまみ食いするだけの日々である.

 

そんな日々からおさらばしたいという思いはほとんどなく,多分しばらくはこの澱みのような時間を自宅で過ごすのだろう.だから久々に文章をしたためたくなって今これを書いている.

 

あまり効率とか無駄とか考えて生きるのは得意ではない.むしろ積極的に怠惰に時間を浪費していきたいと思っている方だ.強迫観念からゲームをしている,というのはそれだけ自分にとって病的な1年だったということだ.ただしゲームは純粋に面白いし,この虚無のような時間よりははるかに充実した時を過ごせるのでそこは主張したい.ゲームは面白い.

 

ゲームと言えばずっとスマブラをやっている.2か月ほど足が遠のいていたが最近復活した.戦闘力はめきめき落ちているのでモチベーションを保つのが難しいのが難点である.

足が遠のいていた原因はRPGである.最近2作ほどやった.

丁度1か月前くらいまでやっていたのが「グランディア」という最初SSで出たゲームのアーカイブスである.

www.jp.playstation.com

これのPS版が実家にあって,小学生くらいの時に途中までやったのだがうまくストーリーが追えず飽きてしまっていた.4月の頭くらいにPSストアで見つけて衝動買いした.

The 王道RPGみたいなストーリーだった.一部ボスを除いて特に苦戦することもなくサクサクと進めて1か月くらいでエンディングを見た.マルチエンドではないし,やりこみ要素も無さそうなのでしばらくはもうやらない.

剣と魔法と勇気と友情と愛情といったベッタベタなストーリーだったが大変楽しめた.フィーナかわいいよフィーナ.

 

そしてGWにふらりと立ち寄ったBookoffで買ったのがFF X/XⅡのセットのやつ.

www.jp.square-enix.com

やっぱFFっておもしれえや.これまでドラクエ,FFはつまみ食い程度でしかやってこなくてしっかりプレイするのはこれが初めてだったんだけどさすが天下のFF様や.

濃厚なストーリー,熱くなる戦闘,プレイヤーの心を枯れ枝の如く折にかかるやり込み要素.こういうのでいいんだよこういうので.

今はシンの体内でシーモアを倒した後くらい.あの後の道中で全体石化で2回全滅したので若干萎えている.石化手榴弾を集める日々が若干怠い.

 

そうして私はスマブラに舞い戻ってきた.でもXⅡを早くやりたいからなるべく早くクリアしたい.おあずけにしてる永遠のナギ節とかのムービーも見たい.

 

虚無な感じのエントリにするつもりが普通のゲームの話になってしまった.やはりゲームはいいな.

雑記 0319

疲労が溜まっている.

 

最近仕事が忙しい.忙しいが,そこまで心はやばくない.

一昨年一年目で一人プロジェクトを任されてた時は心が壊れそうだったが,今は大規模プロジェクトでちゃんとメンター的な人もついているので結構平穏だ.

いや,当時もついてはいたけど,その人たちは別プロジェクトだったし,一人は完全に私とは仕事の仕方が合わないタイプだった.あと,あの人は多分そういう役割に向いてない.

結果としてちゃんと頼れる人がいないまま半年くらいを闇雲に過ごしていたら完全にダメになってしまった.当時は(今もあまりよろしくは無いが)本当に無用な劣等感と延々と戦う不毛な日々だった.無駄ではなかったと思いたいが,今思うと不毛であった.

 

4月から3年目となり,いよいよな感が出てきているがあまり自信はない.

プロジェクトを回すということが良く分からないままここまで来てしまった.同期には先頭に立ってガツガツやってる人もいるので,大変見習いたい.あまり羨むような気持ちが湧いてこないのは,精神的な落ち着いているからなのか,半ば諦め気味だからなのか.

 

最近の業務ではlinux kernelやらbootloaderやらとOSSにお世話になることが多いので,私もその手のコミュニティに参加したいと思っているのだが,入口が分からない.いきなりgihubやらにプルリクエスト送りつける勇気はない.とりあえずメーリスを読むようにしようかしら.

飲み足りないのでビールを飲んでいる

 

昨日(というか数時間前まで)大学の後輩とお酒を飲んでいた.

その時「先輩のブログは米津玄師のブログと似てる」と言われたので

試しに読んでみたけど良く分からない.

同じ「だ,である」調というだけじゃないだろうか.というかこのブログは「です,ます」調も使ってるので一貫性がない.口調とか一人称が一貫性がない人間なのだ私は.

 

ただ,ちょっとだけ共感出来るところもあった.

reissuerecords.net

音楽に大事なのは編集だと、ここ最近強く思う。プリミティブであれ、衝動的であれ、という「ありのまま主義」というか、そういうのに僕はずっと懐疑的な立場でいて、あまり面白いものでもない気がずっとしていて、自分自身なぜそう思うのだろう?とよく考える。

こんな文章があった.私も趣味で詩を書いてるのだが(趣味で書いてるアマチュアが一端の詩人気取りかと思われるかもしれないが,まあいいではないか.趣味であれアマチュアであれ詩を書いてるだけできっと詩人なのだ),ここでいう「ありのまま」という言葉を私は「言いたいことをただ言っただけ」のものと思って読んでいた.

こういう自分の言いたいこと(特に感情に従って出てきた言葉)というのは生物ではないか,食生活で例えれば生肉なのではないか,というのが私の立場である.あまりにも生々しすぎるのだ.

生肉を食べるだろうか.馬と牛は生食も出来るけど,基本的には焼いた方が美味いし安全だ.特に豚と鳥は焼かないと食べられない.何でもそうだけど,調理した方が安心して美味しく頂ける.

詩であれ音楽であれ,きっと上手に調理してあげないといけないのだと思う.それが編集という作業なのだろう.自分の気持ちとか感情は大事だろう.そうだろうけど,でもそれだけではクリティカル過ぎるし,食したが最後,お腹を下してしまうだろう.

根底というか芯の部分はそういうのは大事だろうけど,誰かに読ませる聴かせる段階になった時に,上手に編集して,詩的に音楽的に形にしてあげないと,それは生々しすぎて鑑賞に堪えないのではないだろうか.

 

そんなことを自分も考えてるな,と上記の記事を読んで思い出したので書き留めた次第です.

 

ところで,「米津」は変換で一発で出るのに「玄師」は出てこないんだな.あれだけ有名になったんだから,IMEのデータベースにも登録されないだろうか.それともIMEクラウドとかには対応してないのかしら.

食物繊維はたまに取ってる

会社の仕出し弁当にたまに千切りキャベツが入っているのでたまに食べる.パッサパサで全然美味しくないのが悩み.それに比べて揚げ物のお店の千切りキャベツはなんであんなに美味いんだろう.無限に食べられそうだ.

あと,友人が一人コーヒーの飲みすぎで便秘になっていたから,便秘の解消にはカフェインの摂取を控えるのも良いかもしれない.飲むのを辞めたらかなり改善されたと言っていた.

 

ところで今期のアニメで「青春ブタ野郎はバニーガールの夢を見ない」を見てる.

その解としては毎晩見ていると言うのが妥当なんだろうか.

 

とても面白い.科学的考察にツッコミを入れるのは野暮だろうし些末な問題だ.

このアニメはざっくり言うと,学校という閉鎖された空間内で発生する強烈な集団心理へのアンチテーゼというところだろうか.アニメ的に言うと空気との闘いの物語.

 

ところで,私語りになってしまうが,私は中高では結構クラスで浮いていた.結構嫌なやつだったし屈折した性根を持ってるからまあそんなものかもしれない.きっと高校のクラスの同窓会の連絡は回ってこないし来ても行くことはないだろう.

当時からあまり良い立場にないことは分かってたし,そういうことに居心地の悪さを感じていた.だから私は古賀の気持ちがよく分かる.私は誰にも嫌われたくないと思う.悲しい生き物だ.一人でいるのはそこまで苦ではないが,一人でいるやつだと思われるのがたまに嫌だ.何より自分で自分をそういう目で見てるのだ.もしかして最低なことなんじゃないかと最近思っている.

 

だから朔太みたいなキャラクターには強い憧れがある.自身に向けられる他人からの視線に対して動じずに飄々としていられる.私も鉄の心臓がほしい.氷菓折木奉太郎とか,ハルヒキョンとかもそうだ.キョンは当時思春期真っ盛りだった私には刺激が強すぎた.隣の芝生が青く見えるせいかもしれない.でも憧れとはそんなものかもしれない.

 

そしてそのせいなのか,朔太のあの強すぎる主張と精神は私にはとても暴力的だ.

作品の中で朔太と話していた双葉がこう言っていた.「正論は聞きたくない」と.私も正論は聞きたくないと十年くらい思い続けている.もちろん双葉の言ってる「正論」が違うものだとは理解しているが,あれを聞いたときもっと広い意味で私は捉えていた.

 

朔太は空気を読んで周りに合わせてばかりなのは馬鹿らしいと言っていた.お説ごもっともだ.そういうのが必要な場面もあるだろうけど,それだけで生活し続けるのは違うというのは承知出来る.完全にアイデンティティを殺して生きていくのは恐らく健全ではない.

 

だが,それが本当に可能だろうか.「空気を読めない」やつがクラス中から爪弾きにあうと分かっていて,現実的にその「空気」に従わないという選択が採れるだろうか.これらは反語ではない.ではないが,極めて反語に近い.少なくとも私が古賀だったら無理だ.断言できる.

本当に「自分を必要としてくれる人が一人いるだけで生きていける」んだろうか.私には全然想像がつかない.私にはそれなりの人数の友人がいるが,そういう今が大変に幸運で,かけがえのない環境だと自覚しているだけに余計にそうだ.仮に自身を心から必要としてくれる誰かがいたとして,自分もその人のことを十分に慕っていて,その人との関わりだけで生きていけるだろうか.その人と四六時中一緒にいるわけではない.学校や会社やその他色々な集団の中で孤立している中で,それでも私とあの人は心が繋がっていると心底思えるものなんだろうか.

 

狼と香辛料のホロは「孤独は死に至る病」だと言っていた.あと,なんて漫画か忘れたが「孤独は人間が感じるストレスの中で最も強い」と言っていた.

人間の生物的特徴として,社会性を獲得して集団で生活することだと何かで読んだことがある.だとしたら,その社会に属せず孤立するということは危険な状態だろう.強い腕力も速い脚もないから,集団で生きることは合理的な生存戦略だ.だから孤独に強いストレスを受けるということは頷ける.そして強いストレスによって死に至る人が世の中にたくさんいることも昨今よくニュースになる.

これらか考えると上述したホロの発言にはかなり信憑性が出てくるのではないだろうか.私はほとんど確信している.死に至る病は元々絶望らしいが,人間が孤独に陥るということはだいぶ絶望的な状況だろうし結末は同じだろう.

 

これらのことはただの理屈の補強ってだけなのだが,こういうことからも朔太の主張はあまりにも正論すぎる.あまりに正論過ぎて一周回って誤論じゃないだろうかとも思ってしまう.人間限界がある.その強すぎる正論にあてられて,私は頭がクラクラしそうだ.

 

もっと正しい言い方をするなら,朔太の主張というより,その主張を通したアニメのテーマやメッセージが暴力的だ.朔太一個人の主張というだけなら,それを自身に向けられているわけではないならそこまで何かを思うことは無いかもしれない.でも明らかに作品のメッセージは視聴者ないし読者に向けられているものだ.

クラスに馴染もうと過度な努力を積んでいることや,馴染めず浮いたクラスメイトでいることに違和感や居心地の悪さを感じている人は,あれを見てどう考えるのだろう.そう感じるからこそあのメッセージを正しいと感じるのではないかと思うし,そう思うとしたらやはり私にはあれは強すぎる主張だと思ってしまう.

 

あまりにも空気を読んで集団に馴染む努力をすることが愚かなことだと言われ過ぎている.あまりにもそうせざるを得ない人の気持ちがおざなりにされている.そう私はずっと考えている.

 

ただ,深夜にアニメを見て2時間もかけてこんな文章を打ち込んでいる私は十分作品を楽しめてるなと思って可笑しくもある.再度言うが,この「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」はとても面白いし,最新話が待てなくて既に5話までを2周しているし,OPもmoraで購入したし,劇場版の前売りも購入予定なのだ.

 

これらの与太話は決して善悪や是非を問いたいわけではない.強い主張をしたいならそうすればいい.さすがにこれを見て死に至る人はいない,と思うし.私は作品鑑賞後にどういう気持ちになるかに善悪など無いと思っている.いい気分になろうが最悪の気分になろうが,そう心を動かされた時点で十分に作品を堪能出来ているし作品の鑑賞とはそういった心の動きを堪能するものでもある.

 

原作は未読なので,今後この主張がどう転がっていくのか,最終的に私がこの考えにどう折り合いをつけるのか,もしくはつけないのかそこのところが楽しみで仕方がない.

 

ところで,劇場版を上映する映画館の情報は無いのだろうか.前売り券の購入を予定としている理由はそれを見つけられないのが原因なのだが...

最近乳酸菌取ってない

前回の記事が面白すぎる.そんな記事から3ヶ月経った.

 

最近新しく始めたこと.

 

その1

twitterで見かけたNovelDaysにちまちま投稿し始めた.

中身はカクヨムと一緒なのであまり新しくないかもしれない.

ただView数がカクヨムの10倍くらいあるので投稿し甲斐がある.

novel.daysneo.comこちらです.御贔屓にどうぞ.

 

その2

ploomtechを買った.筐体のカッコよさに釣られて買った.

たばこカプセルはわかるのだが,カートリッジが使い捨てなのが勿体無い.

あれ回路とか仕込んであるらしい.中の水蒸気成分だけ補充して使いまわせないだろうか.探せばそういうのありそう.

 

その3

グルーヴコースターでレベル13が解放された.レベル12解放から3ヶ月くらいかかった.11解放から12解放は2か月くらいで今回は出来たのでかなり時間がかかった.その間にt+pazoliteにハマった.

12を解放した時は結構絶望したが,今回はそこそこ出来たので意外と大丈夫かもしれない.でも難しい曲の絶望感は12の時より深い.

ずっとレベル12まででマンネリだったので,久々に興奮したプレイになった.スマートウォッチをつけっぱなしでプレイしてたら歩数がカウントされてて笑った.

 

オタクキャンプした話とかTGSに行った話とか書こうと思ったけど長くなりそうだったのでやめた.

 

あとdアニメでローゼンメイデンの2期の配信終了が迫ってたので今見ている.昔は翠星石が好きだったが,今は真紅一筋です.

 

今回は以上です.